ボクの年齢はトップシークレットだから誰にも明かすことはできないけれど、障がいのある人たちと出会って、彼らの生き方に感銘を受け50年近くになるから、かなりの歳であることは推察できるだろう(笑)
大学紛争の世界を飛び出し、東京郊外の山中で二年ほど寝食を共にした。冬の氷の張った沢で葦を刈り、よしずを編んだり、段々畑で作物を作ったり、夜は星空の見える風呂場で背中を流しあったり、人間の基本的な営みを学んだような気がする。
それから〇〇年、ボクの頭にも白い草が生え、風に散り、みずみずしかった?肌も土に変わりつつある(笑)
そんな草木に還るボクに、最近、よくかけられる言葉がある。
「あのさ、小さくなってない?」
一緒にアートをしている小学生の仲間たちが言うのである。
「おじいちゃんになったね」
確かに、彼らは成長し、小さくなっていくボクの背丈を越える仲間たちが多くなった。
で、ボクは言うのである。
「いきものは歳をとると、どんどん小さくなって、いつか見えなくなるんだよ」他のに
「さっきまでそこにいたのに、誰もいなくなって風が吹いているのさ」
彼らは感心したようにうなづく(笑)
夜、窓辺で今年最後の虫の音を聞きながら想うのだ。
どんどん小さくなり、しわくちゃになり、それでも仲間たちのアートの姿を見ているおじいちゃんの自分、手の動きや言葉づかいも緩慢になり、仲間たちと同じ空気や時間に包まれ気持ちよさそうに居眠りしてる自分を。
それはなぜか、スターウオーズに出てくるヨーダ(YODA)に重なる。
推定年齢800歳以上、身長66cm、体重13kg・・・たぶんワタシはもっと小さくなるだろう。きっと、この掲載画像のようにいろいろな微生物が寄生するキノコのようになるだろう。
そして深いフェースofワンダーの森の片隅で木の切り株に座り、草木や虫や風の会話を聞いているだろう。
歳をとり、どんどん小さくなることは、体に閉じ込められていた時間や想いが外に広がり、宇宙に散らばっていくことなのだ。
虫の音や星空が心にしみてくる。